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選ぶ景色、もとい雑記。

思いつきとかメモとか残したいものとか残したくないものとか。

神は千切れて

宗教、理由、カミサマ。

昔ずっと考えていた。
なんで生きてるんだろうって。

10代半ばの私が行き着いた答えは、「意味なんてない」だった。

生命はバグ
偶然なにかの物質と物質が反応を起こして、殖えるよう、残るよう、その命令だけが刻まれてしまったがために形を変え種を増やし、その枝分かれの一つとしてヒトができた。

そもそも理由なんてないのだ。意味なんてないのだ。

でもそれにしては、ヒトは心を持ちすぎた。感情が強くなりすぎた。

だから、寂しくなったんじゃないかな。
意味や理由が必要になったんじゃないかな。

思いがけず感情が強くなってしまったから、勝手にそのプログラムを忘れて、そこから離れてきたのかな。

生産的な理由もなく自ら命を絶つ生き物は、ヒトだけなんでしょう?
意味を求める感情は、どうして生まれてしまったんだろうね。
それ無しじゃ上手く殖えられなかったんだろうね。
社会性、ね。はは。

でもそれゆえに、種の残存を忘れて、個体単位の損得でしか見られなくなっていく。
滅びるだろうな、ヒトは。
間違ったんだよ、進化の仕方を。
でも試行錯誤のうちの一つだものね、なにも問題はない、なにか生き物がいきていればいいんだもの。
きっとまた菌や虫や深海生物だけの世界になるんじゃないの。

世界。世界ねぇ。

きっと、寂しかったんだよね、こんなに苦しくて辛い思いをしてるのにそれに意味がないなんて。
だから意味を作りたかった。だから意味を作った。

過酷な環境の国のほうが、過激な宗教が多い感じがするのは、つまりそういうことなんじゃないの。
あまりにも苦しいから、「これには理由があるんだ」って。
その理由のために、と思えばやっていける。
つまり、そう思わねばやっていけない。

それが上手く機能していた中世くらいまで。
近現代になって、科学や新しい生活、価値観なんかが中世までのカミサマを殺してしまった。
それが良いとか悪いとかではなくて、正解を、真実を求める、これもヒトの性として、ごくごく自然な流れで。

そんなこんなで高度に科学技術もろもろが発達した現代を生きる僕らにとって、本来的な意味での宗教はほとんどその役目を果たさなくなってきていて。

慣習的に惰性的に今なおそれらしく存在しているところもあるにはあるけれど、まぁ一応先進国と言われる我らが日本での熱心な宗教信者ってもはや「そういう」目で見られがちだからね、というアブナイお話。

全然否定とかではなく、それがうまいこと機能するならそれで何も問題はないのですよもちろん。(早口)

引っ張るのめんどくさくなってきてそこに突然の結論、「現代のカミサマ=サブカルチャー」論です。

いや「サブ」である必要はそんなにないんだけど、若干はあるのでそれはまた後述。

何の話だこれ感すごくなってきたけど、とにかく生きる意味なんてねぇ理由なんてねぇ生きるにはそんなに事欠かねぇでも生きるのつれぇ精神状態つれぇ、な現代っ子に必要なのは魂の救済じゃなく「萌え」とか「癒し」とか「キュン」とか「ゾクゾク」とか「ワクワク」とか「俺かっこいー」とかそういうわりに即物的な快楽、なんじゃなかろうかっていう大雑把な話。

こんなのすでにさんざん言われてそうだけど。
オタク文化の興隆論、みたいな文構の授業でわんさとこんなレポートありそう。

でもこれはずーっと思ってたことなんだよ、サブカルなのはそのそれぞれが大衆向け"じゃない"ものの方が自己救済というか「俺かっこいー」レベルが上がるから。みんなに見えるような薄っぺらいやつは俺のカミサマにはなりえない、とか考えられがちだから。

多神教精神(というか、アニミズム?)は受け継がれているなーと思うよね。まぁカミサマっていうか俺の嫁、だよね要は。これのために日々を過ごすということ。

だから現代人はアニメ漫画ゲーム文学音楽映画演劇その他いろいろ、そういう細分化(というかこま切れに)された小さなカミサマをそれぞれ抱えて、同じ宗派の人と分かち合って時に競い合って「何かのために生きる」っていう宗教的な存在価値感(?)を満たしているっていう仮説。

アイドルをアイドルって呼んだ人は偉大だよね、それこそ偶像、神の生き写しだもの。でもそれはそんなにはっきり目に見える分かりやすいものだけではなくて。
たとえば趣味もなさそうな勉強大好きな東大生なんかだと、勉強そのものが彼らのカミサマになったりね。
逆にサブカルにいかないいわゆるリア充層は、まぁその「つながり♡」だかなんだかがそれに当たるんだろうね。
存在価値。存在意義。


書きながら一つ発見。
あの「意識高い」系統の人々は何を糧として生きてるんだろうな、という疑問。
自己愛だろうな、こんな自分が好き、という自分像をカミサマにして、そんなカミサマである自分像?逆か、自分の理想像であるカミサマ?とにかくそういうものに価値を見出して生きているんじゃなかろうか。
一番理解できないし、一番不安定な気がするんだよな、意識高い系統。リア充ウェーイのほうがまだ全然わかる、共感まではいかないけど、だいたい想像つくんだよ。

あれは自意識、他人に褒められたり評価されたりする自己、をぎりぎり糧にしてる感じかな。自分で自分を褒めるだけで自己満足だけで生きていけるのなら、そりゃ外のカミサマはいらないだろうねぇ。

身近な友人でも思い当たる人がいるけど、その子の場合は評価されることよりも、そうか「自分を高める教」か、あれは。
あの「意識高い」状態自体がハイだもんな、あれはたしかにめちゃくちゃ宗教じみてる。
そしてなぜあれが厄介なのかというと、宗教だってことに自覚が一切ないこと。だから基本他人もそうあるべきだと思ってるし、そうじゃない人を見下す傾向にあるし、ややもすれば強要というか入信させようとする、んだよね、、
その友人自身はそんなことないが。

あー自分を高める教、なるほど、厳しい教義を守るのと同じ効果があるんだろうな、努力して得られる!みたいな一定の戒めと救いというか報いというか。あーめっちゃ腑に落ちた。
なるほどねぇー。

価値観、趣味、はニアリーイコールあなた何教?ってことだよね。
無自覚な場合、何病?のほうが正しい場合もあるけど。恋愛とか。

意識高い、が揶揄されるのはほとんどそういうことじゃないの、無自覚だからだよね、そのイタさに。

家族とか、仕事でさえも、大事にするもの、って全部宗教だわーと思えばだいたい腑に落ちる。
自分をなだめる方法論としては結構使えるよね。

「現代のカミサマ=サブカルチャー」論改め「現代人みな宗教者」論。

なんぞ。笑