君と僕とセカイの滅亡
少し前になにかの音楽雑誌のインタビューで、BUMPの藤くんの歌詞の世界観はいわゆる「セカイ系」だという話を読んだ。(全く悪い意味ではなく、系統の話題として)
ウィキとかだといろんな定義が書かれてて分かりにくいけど、要は「君と僕」の関係性、自意識の範疇だけが世界(セカイ)のすべてとして物語が進行し、主人公の行動やその付近の出来事が世界の存続と直結する系統の作品、って感じかな。私の認識では。
で、まぁオタ界隈(自分がオタクであることを受け入れてる人々)では、ネタ的にとはいえそれはそれとして愛されてる感じがあるけど、一般的には結構引かれがちなジャンルだよね。
自意識過剰で一人語りの激しい主人公、存在するはずの中間領域=社会の存在が全く描かれないこと、それでいてご都合主義的に世界が危機に陥ったりそれをちゃっかり救っちゃったり。
わーいかにもサブカル〜って。笑
でもさ、それってそんなに馬鹿にされるようなことなのかねぇ。
その批判のされ方って、「中間領域」が抜けてるところがメインなんだろうけど、いやー、オタクじゃない一般人もその意識抜けてる人なんていくらでもいるじゃないか。自意識過剰な人だって、どこにでもいるじゃないか。
というか、自意識の範疇が世界のすべて、というのはある意味では変えようのない事実だと思うし。知覚・認識できないものはその人の世界を作れない。
実際、BUMP大人気なんだけどね。笑
特にBUMPはコアな邦楽ロックファンじゃないファンがたくさんいて、年齢層も幅広いし、歌詞重視で聴かれがちだしさ。それってかなり多くの人がそういう世界観を自然に受け入れてるってことでしょう?
厨二wって言われることももちろんあるけど、圧倒的に純粋に良いと思って聴いてくれてる人が多いように見える。個人的な感覚だけどね。
結構自分で気付いてないだけでさ、セカイ系への憧れみたいな感覚って誰でも持ってるんじゃないかな。
というか前提としてみんなわりと閉じた世界に住んでてさ。そこがセカイに直結してるかどうかって部分に違いがあるだけで、多くの人が中間領域がさも存在しないかのように、あるいは意図的に目を瞑って生きてるんじゃないかしら。
そのセカイとの直結具合が馬鹿馬鹿しいんだよ、と言われてしまったら何も言えないけど。笑
でも閉じた世界の関係性が実はめちゃくちゃ大きな影響力持ってたら面白いな、って想像くらいしてもいいじゃない?