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選ぶ景色、もとい雑記。

思いつきとかメモとか残したいものとか残したくないものとか。

はい、ただのめんどくさがりです

まだ秋になったばかりと思ってたけど、今日の帰り道ほんのり冬の匂いがした気がした。いつもあっという間なんだよなぁ秋って、うかうかしてると一瞬で通り過ぎてしまう。


血界戦線がようやく終わりを迎えたなぁ、久しぶりのあのテンポ感、ちょっと置いてけぼりにされつつあれよあれよと引っ張られて、ああそうだったこれこれって。なんだか心地よかった。
終わり方も私はとても好きだったよ、1クール分待った甲斐あった。ホワイトブラックのくだりがアニメオリジナルと聞いた時はどうすんのこれ、と思ったけど、見事でした。


どうでもいいんだけど、私がアニメとかゲームの話をする時に徹底的にばかみたいにザ・主観的なものの言い方しかしないのはいくつか理由があって。

メタ的ないしマクロ的な語りだって、ある程度時間かけて全体像や切り口考えてアウトラインまとめて文章に落とし込んで、とステップ踏んでそれなりの形を作成することは可能ではある。そのクオリティはともかくとして。

でも第一にその労力をかける時間と体力とモチベーションがない。大学のレポートならそれで単位もらえたり評価されたりするし、本業なので堂々とそればっかりに時間も体力もさける。でも今はそうじゃないし趣味でやるほど大好きではない(たぶん平均よりは好きな方ではあるけど)。

第二に、メタ的マクロ的視点の語りを盲信していないということ(あくまでも「盲信」、ある程度は信頼している)。そうやってメタ的マクロ的に語った方が読み物としては面白いし知らない人に興味を持ってもらえる可能性はあるものの、結局のところいくら第三者視点を装ってもその切り口の設定や着地点は個人の嗜好によるところがかなり大きくなるのであって、好みの結論ありきで構築されたメタ・マクロ的語りとそうでない主観ミクロ語りは、本質的には同じもの(相似、くらいか)だと思っているから。一文がなげぇ。

このことに自覚的な語りであれば全然問題ないんだけどね、実質好き嫌いベースで出来てる評論なのに、「客観的に見て」ると自称する評論はなんか、こう、見ててつらいじゃない…?


まぁ要は、人間自分で思ってる以上に「好き・嫌い」「合う・合わない」に支配されてるもんなんだから、結論同じなのに小難しいこと時間かけて書いてもな〜って話でした。
いやもちろん、本当に好き嫌いはさて置いてきちんと評論してる方もいるのだけれど、自分がやっても上手くいかないだろうしそもそもそこに興味がないかなって。
だったらストレートに「好き!」「かわいい!」「かっこいい!」とか感情そのまんま書いていくスタイル。ど直球でなにがわるい!うん、頭がわるそうだね!!!!!ぇ