選ぶ景色、もとい雑記。

思いつきとかメモとか残したいものとか残したくないものとか。

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久々に小説を読み終わった、共感というかなんというか、思い出されるものがありすぎて勝手に重ねてしまって泣くところじゃないのに泣きそうになった。昔のことを思い出した。

 

小学生の頃にプールで10メートルの飛び込みをした。少し怖かったけどある程度たくさんの人が飛び込んで無事なもの、私にも出来るとおもった。一息に踏み切って飛びこんだ。飛んでしまったら意外と滞空時間が長くて、確かに怖かったし水面に当たる時に身体が斜めになっていて胸部を思いっきり打ち付けられたから、ひどく痛くて苦しくて、水の中に深く落ちすぎてなかなか水面に上がれなくて焦った。苦しかった。けど私はその頃泳ぎが得意だったから、明るい方に向かってもがいたら数秒後にはきちんと空気が吸えた、酸素があった。きちんと飛び込みを終えて生きていた。

 

落ちるしかないこと、その時は痛みが伴ったけれど後から笑えること、それはきっと子どもを産み育てることと似ているのではないかと、電車で隣に座る幼子を連れた家族を見ながらおもった。踏み切ってしまったらもう飛び込むしかない。止まることはなく、重力に従って進むところに流されていくしかなくて、それには痛みも苦しさも伴う、けれど苦しい時をこえたら、きっと後からは笑えるのだ。多くの人がやり遂げていること、きっと私にも出来ると思った。ただしそれが、綺麗に、とか上手に、とか、そういう巧拙に関わらないというのは忘れてはならない、きっと私はとびきり下手くそだ。今もこの腕に、線が走っている。