100%
「生きている限り、死亡率100%だもの」
うん、そのとおりだ。それは当たり前のこと。
でもたまたま何かの漫画でこのセリフを読んだ時の私は、まだそんなこと意識したことがないくらい幼かった。
だから当時、すごく重みのある衝撃を受けた記憶がある。
そうか、必ず、必ず自分は死ぬんだ。
周りの人も、いつかは必ず死ぬんだ。
そういうことがあったわけじゃないのに、ふいに「実感」してしまった感覚。
でもなんだかその時から、怖いとか嫌だとかそういう感覚は全く無くて、ただ事実として当然なことに気付いた瞬間って感じだった。
そのせいか、幼心にも人の死なんて当たり前だろって感覚がすごく強くなってしまって、自分と関わらない人が死ぬことに対して、あまりにも何も感じない人間になってしまった。
他にも理由はあるだろうけど、普通はそういうことを周りの人間の死でなんとなく知るもののはずが、実際の死と全くかけ離れたタイミングで勝手に実感してしまったせいで、感情が伴わないままものすごく淡々としている自分がいる気がする。
というかそもそも、幸か不幸か、この歳で実際に身近な人の死を経験していない。
またそれがあったら変わるかもしれない気もするけど、全然変わらない気もする。
普段関わらない人の死って、そんなに悲しいものだろうか。
もちろん本当に身近な存在なら、喪失に対しての悲しみ、寂しさ、虚無感とか色々、つらい気持ちでいっぱいになるだろうと思う。さすがにそこまで薄情じゃない。
でも有名人の訃報とかに対して、1ミリも何も感じないのは、やっぱり何か欠けてるのかなって少し感じないでもない。
その反面、「みんな、ちょっとコメントしてみただけだろ?」とも思う。
泣けるものはエンターテイメント、か…。
そうか、みんな自分の中で物語を持ってるのかもね。勝手に他人の物語を、作ってるのかもね。
架空の人物にならすぐ泣いちゃうからそれなら分かるわ。
人は勝手だな。非難じゃなく、そういう生き物なんだなって感想。
勝手で残酷な生き物。
でもそこに善も悪も無いよなぁ、なんて。
まぁとりあえず、続く限り続けますかね。
最近の毎日は、今まで生きてきた中で1番楽しい日々だもの。